モンゴル大平原紀行      2016.4.30〜5.6 本文へジャンプ

















































































































































































































































































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モンゴル大草原の星空が見たい!!
 昨年、金融機関を定年退職し製造業の会社に再就職したため、今年のGWは7連休となりました。折角の長期連休ですから有効に使おうと、思い切って海外に行くことに決めました。行先はこの時期シャクナゲが満開を迎えるブータンと決めたところ、日程が合わず、ならば大草原が広がるモンゴルにしようと各社のツアーを探していたところ、ゲルに泊まり星空鑑賞というツアーを見つけ、参加しました。
 小中高時代の後輩でログビルダーの
「米さん」が過去5回もモンゴルに行き、釣りをして来た話を聞いており、スケールのでかい大自然の魅力に引き込まれました。それまでモンゴルと言っても、直ぐに浮かんでくるのはキラー・カーンしかありません。私の同年代の男性ならご存知の筈です。本名「小澤正志」その日本人離れした体格でモンゴリアンになりきり、「闘うモンゴリアン」として1970年代から80年代に人気を博したプロレスラーです。
 モンゴルは今や大相撲の分野でモンゴル人力士たちが活躍し、経済協力も行なわれておりますが、過去の歴史を遡ると、鎌倉時代にチンギス・ハーンの四男の息子であるフビライ・ハーンが2度日本に攻めて来ております。中学生時代の社会科で習った元寇(蒙古襲来)です。1939年には関東軍が占領した満州国との国境で元寇以来の宣戦を交えております。(ノモンハン事件)  第2次世界大戦以降、日本とモンゴルは1972年まで国交を結ぶことがなく、1989年に当時の宇野宗祐外相が要人として初訪問し、1991年にようやく海部俊樹首相が首相初のモンゴル訪問をしていることからも、日本との国交は近年始まったばかりです。モンゴルの面積−日本の約4倍、人口300万人で広島県の人口とほぼ同数首都はウランバートル 人口の約50%がウランバートル周辺に集中しております。
ウランバートルとの時差は±0(サマータイム中)
4月30日
11:55 セントレア空港発  KE0742                  韓国インチョン空港へ 
13:55 インチョン着 乗り継ぎでウランバートルへ   出発の19:55まで6時間待ち折角の韓国だからと焼肉店を探すが、空港内には見当たらず、韓国ラーメン店で激辛海鮮ラーメンで腹ごしらえする。セントレアで両替していった米ドル紙幣が使え、お釣りはウォンで。旨いラーメンであったが激辛でこれが翌日災難になった。(ひどい下痢と水戸のご隠居の痛み)
19:55 インチョン出発
23:30 ウランバートル(チンギス・ハーン空港)着
 
    あいにくの雨模様。ホテルに着く頃に雪に
      変わる。

0:45 フラワーホテル着

 インチョン空港で時間潰し 民族舞踊を行なってい たところ。

5月1日
現地のモンゴル人ガイドのブルガンさんの案内でウランバートルの市内観光。昨晩降った雪で丘陵地帯は真っ白で寒い。緯度は北海道より北であるため、当然か?
 【初日の見学場所】チベット仏教院のガンダン寺
サインノムン寺院カザフ族の一般家庭のゲルの訪問、テレルジ国立公園のランドマークの巨大な「亀岩」、アリアパル寺院、ウランバートルに戻り街が一望できるザイサン・トルゴイの丘へ
夕食はしゃぶしゃぶで、肉は牛とマトンであったが、マトンは癖も無くとても美味しかった。 

 ガンダン寺にて

今回のツアー参加者は8名と行く前に旅行社から聞いていて、夫婦組や中高年ばかりと予想していたのですが、集合してみてびっくり。若い独身女性が単独で2名参加され、夫婦1組、女性の2人組、男性単独参加が私を含め2名という構成で、旅行社の女性添乗員さんが同行してくれました。
現地ガイドのブルガンさんは遊牧民に生まれ、国の選抜で15歳の時に日本に3年間留学し日本語を習得したとのことで、日本人と間違えられるほど日本語が上手い。私は半分日本人というくらい親日家であり、モンゴルの歴史についてかなり勉強している様子であった。


 サインノムン寺院 ここでは若い僧侶のお話を    聞く。

モンゴルの歴史は中国とロシアに侵略したりされたりの繰り返しで、社会主義であったモンゴル人民共和国の時代、特にソ連のスターリン政権の時代は仏教が弾圧され、寺院が燃やされたり仏像が破壊されるなどしたため、仏像を隠したりして、そのまま未だに発見されずに地下に埋まっているものがあるとのこと。1992年に社会主義を捨て「モンゴル人民共和国」から民主国家「モンゴル国」と改称した。

 テレルジ国立公園にある巨大な亀岩 下の人と比 較するとその大きさが分かる。

首都ウランバートルは地下鉄が無いため道路は車が溢れ、朝夕は大渋滞であった。通行は日本とは逆の車は右側通行。日本の中古車が輸出されているようで、日本人が下取りに出した二代目プリウスの多さにはビックリした7台も続いてプリウスとすれ違う事は日本でもないだろう。右ハンドルのため、左折時の接触事故が多いようで、2回も目撃しました。日本車は燃費の良さと悪路でも痛まないのが人気なのだそうだウランバートルでの平均月収が47,000円との事で、ガソリンがほぼ日本と同じくらいのため、相当負担割合が大きいと感じられます。産油国なのに精製工場がないため、原油を中国へ安く売り、高いガソリンをロシアから買っているようで、
日本企業の応援が欲しいですね。


首都ウランバートルを一望できるザイサン・トルゴイの丘より  近代化の高層ビルが立ち並ぶ     標高は首都中心部で1,351mと高い。

5月2日
ウランバートルから280km西のブルドへ移動し、遊牧民のゲル訪問と乗馬体験をした後、ツーリスト用のゲルに宿泊する。
280kmの道のりは草原が果てしなく続く道で、丘陵地帯には二日前の雪がまだ残り、草原の緑と雪の縞模様が美しかった。人工物は遠くにポツンと見えるゲルしかないのだ。子供の頃TVで見た宇宙家族ロビンソンに出てくるような異星のロケはこんなところで行なわれるのかと思うような景色が続く。トイレはない。途中、道路工事で余った土が盛られた影で、左右男女に別れての青空トイレなのだが、若い娘さんらもひるまず行く。感心感心
 積もった雪と緑の横縞が美しい草原
 
 ヤギと羊が群れる草原

宿泊予定のゲルは幹線道路からは見えず、牧草地の中へ轍(わだち)に沿って入って行く。途中、ヤクの群れに遭遇し群れを統率する犬がこちらに向かって吠えている。牧羊犬は狼からも家畜を守らねばならないから、気性が荒いようだ。
ツーリスト用のゲルはベッドが二つあり、電気も引かれている。モンゴルの宿泊施設にはコンセントが3種類用意され、日本のプラグがアダプターなしでも使える気配りがされている。電圧も今の充電器は240Vまで許容範囲であるため不自由ない。薪ストーブがあり、就寝前と早朝に火を着けに来てくれ、寒さは感じなかった。燃料はモンゴルでは尊い木であった。現地民は家畜の糞を乾燥させ燃料にしている。煙を嗅いだがお香のような匂いがした。ハーブのような草が多いため、リラクスゼーション効果もあるようだ。

乗馬体験 60年生きてきて生まれて初めて馬に乗る体の軸がしっかりしていないとバランスが難しい

草原の中のツーリスト用ゲル ここに宿泊 20:54 夜の9時になるのにまだ明るい。

緯度が高いため夜9時でもまだ明るいのだ。11時にレストハウスの前に集まって星空鑑賞を行なう。ゲルの回りのトイレに行く誘導灯やトイレの照明のため、真暗ではないが日本とは比べ物にならない星数と星空の広さ。
数枚試し撮りをしたが、肝心な天の川の見えるのは午前2時過ぎ、もう一寝しようとゲルに戻って携帯のアラームを2時にセットする。午前2時に起き防寒支度をしてゲルの一番外れに行き電灯の影に入ると、思わずおうっと叫びたくなるような星空。皆を起こしてやろうかと思ったけどこんな時間だしなと諦め、独り占めで見入った。天の川のアーチが北から南に向かって掛かり、さそり座の横には火星と土星、それにアンタレスが光っている。体が冷え切ってしまい4時半に撮影終了しゲルで温まる。日本なら4時半だと今の時期はもう明るくなっているのだが、モンゴルは夜明けが遅い。

午前2時から4時半まで寒さに耐えながら撮影
空気が乾燥していて晴天率が高いので星空鑑賞には条件がそろっている。素晴らしい観光資源が眠っている。

5月3日
朝食の時にみんなに天の川の写真を見せてあげたところ、凄い、綺麗、こんな風に見えるの?と驚かれ、今晩もう一回チャンスがあるから見ましょうということになる。
今日はここからまた90km離れたモンゴル帝国だった首都カラコルムへ行く。世界遺産の宮殿跡エルデニ・ゾーを見学する。カラコルムは1235年にチンギス・ハーンの三男オゴデイ・ハーンによって健都され、仏教以外にもイスラム教、キリスト教が信仰され、フランス、ドイツ人も住む国際都市として栄えたという。

    旧都カラコルムにある世界遺産の宮殿

ゲルのあるブルドに戻る途中、「小ゴビ」と呼ばれる砂丘に寄る。280km続いていると聞いてびっくりだが、ゴビ砂漠は東西1600kmだからモンゴルの雄大さを改めて感じてしまう。
ゲルに帰り夕食までのひと時近所を散策する。川の様に水のある所に行ってみたが沼のようで、水鳥が来ていた。またゲルの周辺の牧草地には各所に穴が開いていて、地リスや野ウサギが跳ねているのが見られ、ハリネズミも居たようで写真を見せてもらい、撮った奥さんは大変うれしそうでした。
夕食後、天の川を見たい人は4時に起きてくださいと言ったところ、全員が手を上げ見たいとのこと。どうか晴れますようにと願いゲルに戻る。

 小ゴビと呼ばれる砂丘が280kmも続く

 ゲル周辺 野ウサギ、地リス、針ネズミの 穴が    そこらじゅうにある。右上にゲルがある。 

5月4日
午前3時に目が覚めトイレに行くと満天の星空。慌てて支度をして、昨晩とは違う場所にカメラをセットする。丁度天の川がいい位置に来てさそり座もはっきりと分かる状態で、撮影してみた。24mmF1.4のレンズは威力を発揮してくれ素晴らしい星景写真が撮れた。一旦ゲルに戻り4時に全員集合。さっきまで出ていた星が見えない。雲が出て天の川の下の方が見えるだけでどうしたことか?と空を見上げるとどんどん雲は動いている。全員諦めず待っていると見事に雲は消え去り星空が現れる。うわぁーと歓声があがる。天の川をバックに、15秒間露光中に電灯で一瞬人を照らす方法で記念撮影をする。ちょっと照明が強すぎて、色白の人は顔が白トビした感もありましたがうまくいきました。

 天の川の下で 彼女は遊牧民育ち きっともっと  凄い星空を見てきたことでしょう。

観光もいよいよ最終日です。お世話になったキャンプ地の皆さんがバスまで来て見送ってくださいました。遊牧民の娘さんらが働きに来ているとのことです。
来た280kmの道をウランバートルに戻ります。来た時に雪で白かった草原も雪が溶け、牧草の緑がいっそう濃くなったように感じました。ウランバートルに戻りチンギス・ハーン広場や国立歴史博物館を見学し、ノミンデパートでお土産の買物です。モンゴル土産と言えば岩塩、革製品、カシミヤウール等です。物価はモンゴル製品なら安いですが、外国製品は高いです。通貨はトグルグでモンゴルでしか両替できません。1トゥグルグは日本円で0.055円程です。30,000トゥグルグであれば0を2つ取って6倍するとおおよその値段が計算できます。今回は現地通貨に両替しなくても米ドルの1ドル紙幣で通用しました。スーパーは全部カードが使え、暗証番号が必要です。

  遊牧民が馬に乗って羊を追って行く風景

 トラクターで耕された草原。基本的に遊牧民は野菜 を作らない。実る前に移動するためだ。それにしても 1通り耕すだけでも1km以上はあり、気の遠くなるよ うな作業には間違いない。ジャガイモ栽培だとか。

最後にモンゴルの伝統民族舞踊を見学し終え、ホテルに戻り荷物の整理をして空港に行く予定でしたが、強風のためインチョンからの飛行機が欠航し、帰る飛行機が来ていないとのこと。今日は帰れないということでどうするか?このまま空港に行って空港で1日待つのも大変だ。部屋が空いているということでフラワーホテルにもう1泊することになる。旅行会社の添乗員さんもこんな時は大変ですね。今回は8人の意見が揃ったのでいいですが、大勢だとホテルの手配や意見が割れたりで大変だとか。飛行機が飛ばなきゃしょうがないと諦め、もう1日ブルガンさんの用意してくれた観光を楽しむことに。
 かつてはスフバートル広場と呼ばれていた広場に は1921年に中国から独立を宣言した革命指導者 スフバートルの像が建っている。建物内にチンギス・ハーンの像もあり、今はチンギスハン広場に改名さ れている。

5月5日
昨日までのバスと違う大きなバスで、運転手もアムラーさんからドルチェさんに替わり市内観光と日本人墓地参りをする。ちなみに1晩の宿泊費、バス代を含む観光料、朝、昼、晩の食事合計で1万7千円程で格安でした。大型バス代は日本なら1日頼めば10万円は掛かりそうですから、8人で割ればバス代だけでも一人12,500円になる計算です。
日本人墓地(ダンバダルジャー)はウランバートル市の北側の小高い丘の上にあり、モンゴル人が管理しております。第2次世界大戦の敗戦でモンゴルに抑留された日本人は12,318人で、寒さや病気で亡くなり日本に帰れなかった1,597人の霊が眠っております。日本からもこの公園に植樹に来ているようですが、戦争体験者が減って訪れる人も少なくなっている現実は寂しいですね。

 日本人墓地 日の丸を意識して造られている

モンゴル最後の夕食はモンゴル料理店に案内してもらいマトンの野菜スープとスペアリブを食す。マトンの野菜スープは羊特有のにおいが強く、コショーをかけたところ美味しくいただけました。観光旅行でしたので旅行会社が日本人の口に合うように生野菜のサラダ、パンにご飯も用意してくれ、どこでも美味しくいただけました。5回モンゴルに行った米さんの話では、塩味しかなく肉ばかりと聞いていたので期待は外れてしまいました。
今日は飛行機が飛ぶから帰れるという連絡で空港へ向かい帰国の途に。5日間ご一緒してくれたブルガンさんともお別れです。少女時代に落馬して顔から生の牛糞に突っ込んだ話も聞かせてくれ、あの「大草原の小さな家」の著者ローラ・インガルスとダブるところを感じます。一緒だった皆さんや旅行社の添乗員さんも気さくで楽しい旅ができました。

 日本人墓地からの眺め 住宅が密集している

 モンゴルでの最後の食事 マトンと野菜のスープ、 スペアリブ、蒙古餃子(モングーバオス)、サラダ

モンゴルは寒暖の差が大きく、−40℃から+40℃までと80度の差がある内陸性特有の気候であるため、男性の平均寿命は64歳ということで、総人口の平均年齢は35歳と非常に若いようです。夏休みは3ヶ月も有り、6〜8月に遊牧民の子らが仕事を手伝うのだそうです。新学期は9月から始まります。物資的にはまだまだ発展途上の国ですが、家族、親戚、同部族を大切にする気持は日本人以上だと思います。幸せってなんだろう?世界で一番勤勉だと言われる日本人ですが、幸福感を感じている人は少ないですね。企業のために頑張って働いて税金を納めても、国の借金は1,000兆円を超え、国民一人当たり830万円もの借金を背負っている訳です。欧州の国では昼寝して午後2時くらいから仕事して、さらに1ヶ月のバカンスがあってもやっていけるというのにと思いませんか?勤勉でない方が幸せを感じるということなのかもしれませんね。
 オボーと呼ばれる小石を積み上げた祭壇で丘や峠 で見られた。時計回りに3周し祈祷する。チベット宗  教から来ているようだ。


   馬の代わりにバイクに乗る遊牧民

今回の旅行で持っていって非常によかったものがあります。それは「携帯ウォシュレット」です。ドラッグストアーでは売っていませんでしたので、アマゾンで購入しました。価格は1,000円程です。ノズルを引っ張り出し、上に向けて水を飛ばして試したところ、風呂場の天井まで楽に届きます。モンゴルは宿泊施設は水洗ですが、紙を流せないため、入れ物が用意してあります。モンゴルでなくてもウォシュレットのようなシャワートイレがある国は余程の高級ホテルでない限り、海外ではまだ無いでしょう。これは使えます。山小屋にも持って行けます。海外旅行の必需品になるでしょう。 

モンゴルの星空、草原の写真を「野塾写真館」の方に載せましたのでご覧下さい。            
    

 ノズルの先端横に穴が2つ開いていて、渦を巻いて水 が出る。 なかなかの物